研究者紹介 山内 玲

以下、大学院進学を考えている学生とのやりとりとお考えください。

 

地域文化研究系

ヨーロッパ・アメリカ研究講座

山内 玲  准教授 【 博士(人間・環境学) 】

― 研究の内容を教えてください。

 いやです。
 そんな簡単に自分の研究内容が紹介できるんなら、論文なんて書いちゃいませんし、そもそも簡単に説明できる研究なんて、内容が ないよう なものですから。

 ―はぁ?

 .........、わかりました、では概要を少しだけ。
 これまでの専門はアメリカ合衆国の小説です。とくに研究テーマとしては、文学作品における人種問題を扱ってきました。博士論文は、ウィリアム・フォークナーの作品を人種問題という見地から論じ、ここ数年は研究対象の間口を広げ、ポーやメルヴィルの作品を視野に入れたり、アフリカ系アメリカ人作家、具体的にはゾラ・ニール・ハーストン、ジョン・エドガー・ワイドマンの作品を研究対象としたりしています。人種について意識せざるを得ないという状況はアメリカ合衆国の社会的特徴と言えますが、それがいかにして言語表現や小説の構造に具現されているか、と問うのが基本的な姿勢と言えるでしょうか。

― その研究を始めたきっかけは何ですか。

 これがきっかけだった、と断定できる事柄は存外ないもので、偶然の連続に必然性を事後的に見出していくもんじゃないかと思いますが、今から振り返って起点として意味づけたい出来事は2つあります。

 ―で? 何ですって?

 それが人の話を聴く態度ですか。いいから聴いてくださいよ。
 学部生のときに授業をサボって、六畳一間風呂なしトイレ共同のアパートに10日くらい閉じこもり、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を原書で昼夜かまわず読み続けていたことが一つ目のきっかけだったと言えそうです。合衆国の負の歴史を具現する奴隷制の根付くアメリカ南部を舞台としたこの作品は、ざっくりいうと人種混淆の禁忌がクライマックスの鍵となるのですが、読んでいた時は後の研究テーマにつながるその意義などもわからず、乏しい語学力の壁を越えて押し寄せる、その洪水のような語りの魔力にただただ圧倒されるだけでした。
 その頃学部で専攻を決める時期だったのも手伝い、アメリカ文学専修に進んだのですが、豚カツ屋で昼食を取った後、偶々同級生に連れられて出席した購読で出会ったのがハーマン・メルヴィルの「バートルビー」でした。小説というのは薄暗い下宿の部屋か川原で寝そべって読むもんだ、と粋がっていた若僧が(ちなみに、カフェで、といった発想はお金のない学生時代にはありませんでした)、教室の中で小説を読み議論することの愉楽を初めて知った、というと大げさかもしれませんが、これ以降授業をサボることはなくなり、大学の演習室にちゃんと来る習慣がついたのが研究のきっかけだったと言えるでしょうか。

― はじめに研究者を目指そうと思ったきっかけはどのようなことですか。

 あのー、研究者って目指すもんでしょうか...研究分野で違いはあるにせよ、大学院に進学し研究をひたすら続けて、研究を続けるための足場を整える過程で研究職についていたということはありうるでしょうが、「研究者になりたい」と考える人って、どの分野でも研究者には向いていないと思います。研究を志す人は、こうした質問をする性根を問いなおすところから始めてください。

 ―......いやいや、単なる言葉のあやですって。話を続けてくださいよ。

 「研究者を目指す」なら、言葉は正確に使うように心がけてくださいね。うまい言い方ではないですよ。
 とはいえ、私自身は大学院に進学した当初は「研究をする」という意識は稀薄で、ただひたすら小説を読み続けられる環境を求めていました。そうしたぬるい意識で進学した輩が研究の場である大学院で返り討ちにあったのは言うまでもありませんが、当時よく考えていたのは小説を「読む」ことと「研究」することの違いです。小説は基本的に読者が読みたいときに読み、つまらないと思えば放り投げてよいジャンルの書物だと思うのですが、研究の対象として小説を読むことは読み手の好みや気分、感性に左右されて終わるものではなく、その作品を構成する諸々の要素に注意を払って読む営みであり、同時にある作品を面白い/つまらないと判断する自分の価値基準もまた問われるべきことではないか、といったことは文学研究の末座に連なる者として努めて考えてきました。今思えば、こうした思考がきっかけだったとは言えるかもしれません。

― 研究室(講座)のアピールポイントを教えてください。

 ありません。というのは嘘で、これまでの言葉の端々から読み取ってください。

 ―回りくどいことはいいから、端的に教えてくださいよ。

 仕方がないですね。
 私自身の研究のディシプリンは英米文学研究を基盤としていますが、学際的な大学院を出ており、多種多様な研究分野と接する中で研究者として研鑽を積んできました。その経験も手伝って、文学研究以外の隣接領域も目配りはしており、文学以外でもアメリカ合衆国を対象として、文献をベースとする範囲での研究の指導は応相談となります。
 とはいえ、外国語の文献を扱う以上、文献を丹念に読む作業とそれに伴う語学の力は要求されます。とりわけ文学作品を読み解く上で一字一句精読していくことは不可欠です。何はともあれ、細部に宿る作品の魂に触れて快楽を覚える読み手は歓迎します。
 講座としては、ヨーロッパ・アメリカという枠組みで多様な領域への関心を持つ人々が集まります。したがって、自分の研究テーマに没頭しながらも、異なる学問領域への興味を持つことができる人は、この講座は向いているんじゃないかと思います。もう一言付け加えると、研究上の問いに対する答えを追い求めていくだけでなく、問いを構成する前提やその価値基準までを問う姿勢、これは学際という、いうなれば異種格闘技的な異なるディシプリンの対決の場において重要な意味を持ちます。
 ちなみに、こうした考えを含意していたのが、いちいちイチャモンつけなきゃ質問に答えられないのかよ、とツッコミたくなる上記の回答であったことに気付いてくれた人も歓迎します。もちろん、あなたはわかっていましたよね。

 ―とりあえず、話が長くなる、暑くるしい研究室だということはわかりました。

研究のキーワード

アメリカ小説、ウィリアム・フォークナー、アメリカ合衆国の文学における人種問題

主な著書・論文など

以下はオンラインでアクセスできるものです。その他は、東北大学研究者紹介をご覧ください。

「物言えぬ「白痴」と黒人の声 : 『響きと怒り』におけるベンジーの「黒さ」」『アメリカ文学研究』  47 (2011) pp.37-52
「Lena Groveを巡るFaulknerの人種意識 : Light in Augustにおける人種と母」『英文學研究 』 84 (2007) pp.109-122.
「Neutral Grayness--『八月の光』の手書き草稿から読むジョー・クリスマスの男性性」 『フォークナー』 9 (2007) →英文オンライン版はこちら

東北大学研究者紹介

http://db.tohoku.ac.jp/whois/detail/50fb3c0992076a0064a7c73f93d6b8d8.html

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