「眠りながら計算する脳」
Computing Brain while Sleeping

中尾光之(東北大学大学院情報科学研究科)
Professor Mitsuyuki Nakao, Graduate School of Information Sciences, Tohoku University

 

眠りは身体的な休息を与えるもので、脳が担っているような知的な機能には関係ないと思われているのではないだろうか。眠りが休息という役割を担っているという認識は間違ってはいないのだが、それだけではその重要な機能を見誤ることになる。本講演では神経生理学的な立場から脳機能の発達・維持において睡眠が果たしえる役割についてわれわれの研究成果を中心に述べる。

我々が眠っているからといって、脳のニューロンも眠っているわけではない。特に、夢見の眠りとして知られているレム睡眠時には覚醒時よりも高いレベルで活動するニューロンが多くある。視床−皮質系のニューロンのほとんどはそうである。そのようなニューロンの活動に特徴的なのは、そのスペクトルが両対数プロットで周波数に比例する、いわゆる "1/f ゆらぎ " と呼ばれるようなダイナミクスを呈することである。モデリング研究によればこれは神経回路網の準安定性によって引き起こされている可能性が示されている。すなわち、いくつかのアトラクタ間を回路網状態がランダムに遷移し続けるような現象が起きているというわけである。アトラクタを一つの記憶状態だと捉えることができれば、これは夢見の状態に似ているといえないだろうか。

 レム睡眠を特徴付ける脳内現象に、数 Hz 程度の持続的な周期波であるシータ波と 100ms 程度の幅を持つスパイク状の波である PGO 波がある。両者とも、学習や記憶機能とのかかわりが指摘されている現象である。前者の生成には海馬が、後者には脳幹のニューロンがそれぞれ関っていると考えられている。我々の研究によって、両者が位相同期しており、大域的にも瞬時的にも互いに活性化し合っている様子が明らかになってきた。シナプスの可塑的変化にはシータ波位相依存性があることが知られていること、および PGO 波は脳の広い領域を一過性に活性化することを考慮すれば両者の位相同期関係は、神経回路網の維持や発達に何らかの形で関っているとは考えられないだろうか。

 臨界期前の発達過程と成熟期では睡眠構造が異なることが知られている。また、時差ぼけを繰り返している国際線の乗務員においては側頭葉が有意に萎縮していたというショッキングな報告もある。これらの事実は、脳機能の発達・維持における睡眠の関わりを示唆するものである。我々は、成熟後の感覚遮断によって睡眠時の脳波パワーが、遮断後 10 日間かけて減少し、その後上昇に転じ 20 日程度で元に戻ることを見出した。これは遮断によって生じた神経回路網の再編成の過程を脳波活動として観測しているというのとは逆に、再編成へ睡眠時の神経活動が何らかの影響を及ぼしている可能性も考えられる。成熟後の脳も神経回路網の再編成を生じる程の十分な可塑性を有しており、それへ睡眠が関わっているとすると興味深い。

 以上述べてきた現象は互いに無関係に聞こえるかもしれないが、いずれも神経活動のダイナミクスと回路網構造との関わりを示しているという点で共通している。このような視点が睡眠の新たな機能発見につながることを期待している