相手の情動を読み取る -脳機能画像研究からの考察-
-脳機能画像研究からの考察-

中村 克樹
京都大学霊長類研究所行動神経研究部門、PRESTO


社会生活を営むうえで、他者とコミュニケーションをとることが重要である。私たちは、言語を使わなくても、身振り・表情などの動作や声の抑揚を用いて、感情・情動を他者に伝えることができる。このような機能は、右半球が優位に制御していると考えられている。私たちが行ったPET(positron emission tomography)、fMRI (functional magnetic resonance imaging)実験の結果をもとに、上記のような非言語(nonverbalあるいはnonlinguistic)コミュニケーションに関する脳の部位について考察したい。

非言語コミュニケーションに関して、言語における失語のような症状が知られている。右半球に損傷を受けた右利きの患者は、しばしば非言語コミュニケーション能力が低下する。これらの患者は自発的なプロソディがみられなくなったり、プロソディや情動的なジェスチャーが理解できなくなったりする。このような症状をプロソディ障害(dysprosodyあるいはaprosodia)と呼ぶ。
 
非言語コミュニケーションの手段のなかでも、表情は以下にあげる特徴があり、コミュニケーションの発達や進化を考える上でも興味深い。(1)表情は文化を超えて共通のものが存在する、(2)言語能力を獲得する以前の乳幼児にも表情を用いたコミュニケーションが認められる、(3)ヒトだけでなく他の多くの動物でも表情を用いたコミュニケーションが認められる。これまでに表情に関しては多くの研究がなされてきている。他の非言語コミュニケーションの障害と同様に、右半球に損傷を受けると表情の表出も理解も困難になることから、表情に関する右半球優位が示唆されている。
 
では、非言語コミュニケーションには脳のどの部位が重要であろう?私たちはPETを用いてこの問題を調べた。表情評価課題(実験課題)では、被験者に次々と提示される4種類(笑い・無表情・怒り・悲しみ)の表情を示す顔を見て、その人の情的状態がポジティブ(笑い)、ニュートラル(無表情)、ネガティブ(怒り・悲しみ)のいずれであるかを評価してもらった。コントロール(対照)課題として色弁別課題と好感度課題を用いた。表情評価課題において色弁別課題より有意に血流の増加を示した領域は、両側の後頭皮質、右下前頭皮質、左前頭眼窩回であった。好感度加課題と比較すると、右下前頭皮質のみが有意な血流増加を示した。二つのコントロール課題のいずれと比較しても有意な血流増加を示した右下前頭皮質が、表情評価の過程に関与していると考えられる。
 
上記PET実験では、静止画を元にその表情を判断していた。しかし、日常生活では顔の形がどのように変化するのかが表情の認識には重要である。そこで、動画刺激を用いたfMRI実験を行った。実験では被験者に、その人の情的状態がポジティブ(笑い)かネガティブ(怒り・悲しみ)かを評価してもらった。コントロール課題として性弁別課題を用い、無表情の動画刺激を見て、その人が男性か女性かを判断してもらった。表情課題において性弁別課題よりも活動が上昇した脳領域は、右下前頭皮質、両側の中側頭皮質後部および右半球の上側頭溝であった。さらに、ジェスチャーをもとに、その人の情的状態がポジティブ(笑い)かネガティブ(怒り・悲しみ)かを評価してもらう課題も行った。コントロール課題としては、やはり性弁別課題を用いた。左右の前頭葉と側頭葉領域が広範に活動したが、表情課題で活動が認められた右下前頭皮質、両側の中側頭皮質後部および右半球の上側頭溝がこの課題でも活動した。両側の中側頭皮質後部は、物体の運きに関する視覚情報を処理するHuman MT/V5+領域として知られている。動画を用いることによって、表情に関連した顔の形の変化・動きを分析する脳活動が捕らえられたと考えられる。右半球の下前頭皮質と上側頭溝は、ともに動作の理解に関与すると考えられている領域である。これら二つの領域の活動は、情動の評価の過程を反映したものであると考えている。
 
前頭眼窩回を含む右下前頭皮質の損傷で、表情やジェスチャー、声の抑揚による感情の表出とその理解の両方の障害が現われることが報告されている。また、脳機能イメージングの研究でも、同じ表情を選ぶ課題や声のピッチ(プロソディの一つ)を弁別する課題、また、抑揚により感情を評価する課題を行っているときに右下前頭皮質が活動することが報告されている。これらの結果はいずれも、右下前頭皮質が非言語コミュニケーションに関与していることを示唆するものである。興味深いことに、左半球の下前頭皮質は言語に深く関与した領域(Broca野)として知られている。私たちのPET実験とfMRI実験の結果では、表情評価課題において左半球の前頭葉に有意な活動はみられなかった。神経心理学的データと合わせ私たちは、下前頭皮質には言語的(左半球)vs.非言語的(右半球)なコミュニケーションに関する左右差があるという仮説を立てた。下前頭皮質のコミュニケーションにおける役割を研究することは、言語の進化を考える上で興味深いデータを与えてくれるかもしれない。
 
表情の認識における辺縁系(特に扁桃核)の機能に関する報告が多くなされている。扁桃核が破壊されると、表情の評価や声による感情の評価に障害が現われる。脳機能イメージング研究からも、扁桃核や島皮質の表情認知に関する機能が示唆されている。それでは、辺縁系と下前頭皮質の関係はどのように考えられるだろうか?扁桃核で多く報告されている障害は、恐怖(fear)の表情が評価できないというものである。イメージング研究でもその多くが、扁桃核の恐怖の表情に対する応答を報告している。扁桃核は、情動行動の表出と関係の深い視床下部や他の辺縁系の領域と直接結合を持っている。扁桃核は、恐怖の表情や嫌悪の表情といった情動反応を直接引き起こす刺激の認識や評価に深く結びついているのかもしれない。これに対して、ヒトの非言語コミュニケーションにおいては、顔の部分のわずかな変化(例えば、眉のわずかな動き)でさえ重要な情報を持つ。また、ヒトには複数の感情の入り交じった複雑な表情もある。ヒトの脳は、このような情動反応を直接引き起こさないような表情の分析を行うための領域(下前頭葉)を進化させてきたのかもしれない。