Pierre Milza, Napoléon III (Perrin, 2004, 706p., 25€) 〜フランス本国におけるナポレオン3世の再評価〜 |
||
| 野村啓介 | ||
ナポレオン3世の研究をはじめてから,どのくらいの月日がたったのだろう。思いおこせば,大学院修士課程にすすむやナポレオン3世の研究に本腰をいれ,2002年に単行本(『フランス第二帝制の構造』九州大学出版会)としてまとめるまで,12年間ほどを費やした。 最初に卒論でパリ=コミュンCommune de Paris史を対象として研究らしきものに手をつけたとき,そこでのナポレオン3世は「小ナポレオン」として多くあらわれた。そういえば,そのあたりのことを,単行本のあとがきに書いていた。ここに表明されている素朴な疑問は,今でも未解決のままだ。 「筆者が歴史研究者をこころざし,卒業論文のテーマとして選んだのはパリ=コミュン史だった。そのとき読んだ本のなかには,一定の政治イデオロギーに傾いたものもかなりあり,そこでは輝かしいパリ=コミュンの歴史にたいして,ナポレオン3世は体制側の主要人物であり,かつ『抑圧者』・『悪者』として描かれがちだった。同時に筆者の頭には,そのような『悪者』が,なぜ人権宣言の国フランスで約20年ものあいだ君臨できたのだろうか,そのような人物が統治した第二帝制とはどのような体制だったのだろうか,どいう素朴な疑問がつぎつぎとわきおこっていた」。(あとがきより) 修士課程に進んで新しいテーマを探していたとき,「冒険家」とも「デマゴーグ」とも呼ばることの多かったナポレオン3世を研究対象にすることに,以前ほどではないにしても,なにかしらタブーのような雰囲気がなきにしもあらずだった。ふりかえってみると,当時のぼくは血気盛んな若者だったらしく,上から権威的にものをいわれるとつい抵抗したくなる性格が強かったのだろう,あえてナポレオン3世の政治思想をテーマに選んでいた。いわずもがな,彼は約20年間フランスを統治した君主でもある。したがって彼の魅力は,何よりも同時に思想の実践者でもあったという点にある。 修士論文執筆のために参考資料として集めた本・論文は,ナポレオン3世自身の著作を含め,約200にのぼる。そのうち,ナポレオン3世個人に直接関連するのは半分くらいか。もっとも,ナポレオン3世関係の本はこれよりはるかに多く,それにくらべればぼくが参照できたのは氷山の一角にすぎないことだろう(集めたもののうち,日本人のものは数えるほどしかなかった)。すべてを参照できたわけではないが,ナポレオン3世に関する記述の傾向をとらえるのには充分だった。 ところでフランス本国では,ナポレオン3世ないし第二帝制について,わが国よりもはるかに早く本格的な研究がおこなわれていた。それと並行するかのように,ナポレオン3世とその体制についての再評価もすすんでいった。このことは,一般読者の関心の高まりと無縁ではないだろう。非常に印象深かったのは,ぼくがフランス留学中の1995年に,複数の一般向け歴史雑誌でナポレオン3世が特集されていたことだ。そこで多く執筆していたのは,第一線で活躍する歴史研究者たちで,それまでの研究成果に依拠しつつ,中立的立場から提示しようとする姿勢がみられた。この延長線上に,体制のいわばエリート層に関する研究,とりわけ近年ではアンソÉric Anceauによる本格的な実証研究の登場が位置づけられる。 とりわけここ10年というもの,かつて「暗黒伝説」(クーデタによって共和国を葬りさったことに対する批判)に色どられていたナポレオン3世とその体制に関する再評価の傾向がますます強まっているように感じる。かつて,ナポレオン3世がヒトラーやムッソリーニなどと並び称されたこともある時代にくらべると隔世の感がある。ミルザの著書は,そのようなことをあらためて意識させる。ナポレオン3世関係の出版物が多いと感じたのは,以上のような潮流が念頭にあったからだろう。 ミルザの意図は,ナポレオン3世を史実に反して美化することではなく,共和国の正統性強化のために利用されてきた「暗黒伝説」,すなわち反ナポレオン3世・反第二帝制イデオロギーから脱却し,そこからあらためて関連する歴史を見なおしてみようということだ。そうすると何がみえてくるか。それは,普通選挙制を定着させた体制であり,それゆえフランス革命以来の歴史的進展に寄与する体制であり,フランスの経済発展に貢献する体制であり,ヨーロッパ諸地域のナショナリズムに対して貢献する外交政策である等々,と彼はいう。つまり,ナポレオン3世の体制は,共和制賛美のイデオロギーにもとづいて主張されたような歴史の断絶を意味するどころか,その逆で,フランスの進歩に貢献したのだ,と。 ただし,ナポレオン3世の専門家がみれば,ミルザによる肯定的側面についての主張が彼固有のオリジナルな見解ではないことは一目瞭然である。そのことは,彼の本が本格的な研究書ではなく,ましてやもっぱら一次史料に依拠する実証研究でもないことにもある程度あらわれている。たしかに,ナポレオン3世自身の著作や同時代人の回顧録等の史料を多く使用し,かつ多くの註を付して,従来の諸研究をふまえつつ書かれた研究書の体裁をとってはいる。しかし内容からみればそれは,彼の生涯をつうじてみる政治史の概説であり,その構成は在野期の政治活動,アム監獄での学究生活,クーデタから政権掌握後の内政をへて第二帝制の崩壊へといたる主要な側面を時代順に記述するという,ナポレオン3世の人物伝にはおなじみのスタイルをとっている。 ミルザのオリジナリティはむしろ,ナポレオン3世の人生を「冒険家」,「デマゴーグ」や「陰謀家」など従来のネガティヴな性格づけ(色眼鏡)からではなく,一人の政治家の生きざまとしてポジティヴに捉えなおそうとする姿勢だといえるだろうか。とすれば,これはミルザにかぎったことではない。すでに国民議会議長もつとめたことのある歴史家フィリップ・セガンが,すでに1990年,同様のアプローチにもとづいて『大ルイ=ナポレオンLouis-Napoléon le Grand』を出版している。したがって,ミルザの作品に内容に過度のオリジナリティを求めてはならない。 ところでミルザの作品では,ナポレオン3世とその体制を過度に美化することに対しては自制がはたらいており,失政は失政として指摘する箇所もある。そのかぎりにおいて,ミルザが可能なかぎり価値中立的な立場で記述しようとしている姿勢をみてとることができるだろう。もっとも,真に中立的な立場があるのかどうかは疑わしいし,かつての共和制賛美のイデオロギーを否定しようとする姿勢じたい,別のイデオロギーを表明することにほかならないともいえる。その意味で,セガンからミルザへといたる傾向は,現代フランスにおけるイデオロギー状況ないし歴史認識の一側面を知ることのできる貴重な資料としての価値をもっている。 そういえば1999年だったか,初めてパリに長期滞在したおり,北駅前を散策していると「ナポレオン3世広場」を偶然にも発見したのを思いだす。猫の額ほどの,広場と呼ぶにはおこがましいくらいの小さな広場だ。そう命名されたのは1987年のことで,それまではルベ広場 place de Roubaix と呼ばれていた。いくら小さい広場とはいえ,それを発見したときの感動と驚き。ナポレオン3世の没落日を意味する「9月4日通り」はあっても,あるいはせいぜいパリ改造に貢献した県知事の名前をもつ「オスマン通り」があるにしても,ナポレオン3世の名を冠する命名はないだろうと思いこんでいた矢先の発見だった。フランス本国でナポレオン3世の復権を肌で感じるには充分な発見だった。 ミルザにとって,この北駅は象徴的な意味をもっている。その理由は,フランスの歴史上まぎれもない貢献者の一人であるかつての君主ナポレオン3世の亡骸が,その皇妃ユジェニと息子“ナポレオン4世”とともに,いまだ退位後の亡命先イギリスに眠っているからである。周知のとおり,北駅はユーロスターでロンドンと連絡している。そこで彼はこうしめくくる。皇帝がフランスに帰還するとすれば北駅なのであり,祖国での第一歩をナポレオン3世広場に記すことになるのだ,と。 幼いナポレオン3世が伯父の大ナポレオンとともすごしたのは,長くともせいぜい1808〜1814年のこと。その伯父の遺骸は流刑先のセント=ヘレナ島から1840年に帰還をはたし,それ以来,遺言どおりにセーヌの河辺アンヴァリッドで眠っている。ナポレオン3世が,200年の時をへて伯父との再会をはたす日はやってくるのだろうか。もしかすると,その日は遠くないのかもしれない…。 【補足】 本記事を書きおえたあとに,わが国でナポレオン3世について以下の2冊が出版されたばかりであることを知った。別の機会に書評を書きたい。 ・鹿島茂『怪帝ナポレオン3世:第二帝政全史』(講談社 2004年11月) ・高村忠成『ナポレオン3世とフランス第二帝政』(北樹出版 2004年10月) |
||